2012年4月7日土曜日

青春18きっぷで母と京都最終回。雪舞う大原。

今日は朝一で大原へ移動しました。母の着物と洗濯物やお土産を近くの八百屋さんでもらった段ボールで送りました。ちょっと身軽になりました!


昨日は京都御所公開日で混雑の中を歩いてとても疲れました。大原は静かでした。


大原のバス停から三千院に向かうお土産屋さんの小道は沢の横を登ります。


三千院
拝観料を払う時に写真をとっても良い場所を聞いたら、お庭はOKでした。


寒い日で大原では雪が舞っていました。


苔むした池の周りにショウジョウバカマが沢山咲いていました。


苔に埋もれたユーモラスな石像があちこちにありました。


苔寺みたい。

京都市内と違って、大原はとーっても静かな所でした。

帰りにお土産屋さんの向かいにかかっていた橋を渡ってみると、大原が一望できました。ベンチもあって、のんびり。


三千院に向かう徒歩道のお土産屋さんは同じ物を売ってる店は無いので面白かったです。漬物を味見しては立ち話。おせんべいを買ってはお茶飲んで。コーヒー飲んでは漬物買って。ちっとも三千院に辿り着かない、素敵な散歩道です(^^;


バス停の斜め向かいで御飯。行きにコーヒー飲んだお店の1階だった。1階が郷土料理の店で、2階がコーヒー&喫茶店で階段で繋がってました。1階では97歳のお婆ちゃんが元気に働いていました。


寂光院
お昼の後、寂光院へ向かいました。途中はのどかな田園風景です。
 

寂光院へは入らず横の山道をのぞくと、苔むした階段がありました。苔むした階段の写真をとっていると、寂光院の柵の中から鋤簾を手にしたおじさんが
『そこが何だか知ってる?』と声をかけてきらはりました。露美、何にも知りません。寂光院が何だかも知らないで来ました。今日の宿の裏にあるから散歩に来ただけでした。鋤簾片手のおじさんがスラスラと教えてくれました。

時は平清盛が亡くなった後。壇ノ浦で追いつめられた平家。清盛の娘で後の天皇をお産みになった健礼門院様が幼い天皇を抱えて海に飛び込みました。2人は海から助け上げられましたが、健礼門院様は髪を降ろして大原の寂光院に入られたそうです。亡くなった平家一族の魂が安らかなる事を祈って余生を過ごしました。当時、健礼門院様が暮らしていた東屋は3m四方位の粗末な物。(と、おじさん振り返って寂光院の柵の中の小さな屋根を指差しました。)そこで心穏やかに暮らしていたそうです。寂光院は寂しいと書きますが、とても心静かな暮らしだったそうです。その健礼門院様にお仕えしていた高位の女官5人のお墓が、この苔むした階段の上にあるのだそうです。ほんの800年ほど前のお話しですよ、と。


寂光院の横に長い階段があったでしょう?あれが健礼門院様のお墓だよ。と教えてくれました。お墓参りはお金かからないので寄ってみました。実は既に相当疲れていて母は早く宿でお風呂に入りたかったのですが。お話聞いたら少し見てみたいじゃないですかー。


健礼門院様のお墓。


お墓から見下ろした所。右が寂光院。膝が痛くなっていた母は登ったこの階段を後ろ向きに降りていました。ごめーん、母。見てみたかったんだも~ん。


宿まで少し近道して戻りました。


こちらが今夜の宿。民宿 茶谷です。地鳥のすき焼きが美味しかった!小さいお風呂と大きいお風呂があり男女時間で交代でした。

お部屋に落ち着いてお茶をしてから小さいお風呂に入りました。夕食後は大きいお風呂が女性タイム。脱衣所には1人用サウナがありました。無理やり母と2人で入りました~(^^;。ひたすら美味しい旅だったので、かな~り、きつかったですぅ~(^^ゞ。狭いサウナでおしゃべりして楽しかったですよ。他のお客さんから見たら、相~当~変だったかも?ですね?(^∇^;)

サウナに入ってもお腹が一杯過ぎるのが直らなかったので、1人で夜の散歩にも行きました。大原、静かでいい所ですねぇ。

京都~、大原三千院。遊び疲れた女がひとり~♪
↑母は膝は痛かったけど遊び疲れていませんでしたっ。まだまだ、元気だったです!かなわんわぁヾ(^∇^;)。

あ、宿の朝ごはん。
翌日は再び青春18きっぷで帰りました。今、ブログを書いている私は今夜、御蔵島へ旅立つのでもう1日分書いてる時間がありませんっ。帰りも大原の朝市で鯖寿司買ったり、2・2の席で爆睡したり、また富士山で大騒ぎしたり、楽しかったけど、「母と京都へ青春18きっぷ」ブログはこれで終わります。ここまで読んでくれた方、長々とありがとうございました。(そんな暇人、居ないかっ?!)




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